大判例

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福岡高等裁判所 昭和46年(行コ)12号 判決

控訴人

佐賀県教育委員会

右代表者教育委員長

土井傅

右訴訟代理人

安永沢太

国府敏男

安永宏

右指定代理人

上野至

外四名

被控訴人

藤山正巳

被控訴人

中島勇

被控訴人

北崎稔

被控訴人

丸山正道

被控訴人

吉町節

被控訴人

鶴田卓爾

被控訴人

杉山郁夫

被控訴人

樋口武男

被控訴人

末森俊雄

被控訴人

松隅虎夫

以上一〇名訴訟代理人

森川金寿

柳沼八郎

ほか一七名

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

一控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人らは「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり改め、付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(一)、(二)〈省略〉

(三)当審における被控訴人らの補足主張

1  最高裁判所は、昭和四八年四月二五日、昭和五一年五月二一日及び昭和五二年五月四日の各大法廷判決により、公務員の地位の特殊性と職務の公共性に基づき、争議行為の全面一律禁止は合憲である旨判示して、現在に至つている。右のうち昭和五二年五月四日の判決では、憲法上、公務員の勤務条件についてはその詳細・細目に至るまですべて立法府において法律の形で決定すべきものとし、財政にかかる金銭的勤務条件についてもその詳細・細目に至るまですべて立法府の予算、法律の形で決定すべきものであるという、勤務条件法定主義、財政民主主義についての硬直した理解を示し、他方、団体交渉権についても労使による勤務条件の共同決定権という偏狭な理解を示したうえで、かような団体交渉権は右勤務条件法定主義、財政民主主義と二律背反になるものとして団体交渉権をことごとく否定し、更に争議権は、右のような労使の共同決定権としての団体交渉権の一環であるから、これまた勤務条件法定主義、財政民主主義と相容れないとして、憲法上の保障の外に追いやつてしまうという論理構造を示している。しかしながら、公務員の勤務条件は、法律の定める基準に従つて定められれば足り(憲法七三条四号)、すべて法律による必要はなく、また、公務員の給与、退職金等の金銭的勤務条件についても、国の財政にかかるものとして、大綱において予算、法律の形式で国会の決議を経ることが要求されるに過ぎず、すべて細目に至るまで国会が定めなければならないものではないし、右の意味での勤務条件基準法定主義等の要請と矛盾しない形での団体交渉権のあり方が憲法上存在し得るのであるから、右判決が掲げる勤務条件法定主義、財政民主主義なるものは、到底、公務員の争議行為全面一律禁止を合憲と解する根拠とするに足りない。

2  次に、公務員の争議行為全面一律禁止を合憲と解するための大前提として、右禁止の代償措置が不可欠とされるが、地方公務員の場合、右代償措置機関とされる現行の人事委員会(又は公平委員会)制度については、その組織構成面において、労働者側を代表する委員の参加を制度化していないだけでなく、却つて、もと高級管理職の地位にあつた者ないしは民間の事業主である者など、むしろ使用者側の利益や意見に傾き易い者をもつて構成されるのが常態であること、その任務・職務権限の点で、争議予防ないし紛争解決のために必要な仲裁・調停の役割を果たす余地は全くないこと、同委員会が時として行う要望や勧告は、名宛人である当局に対して一切強制力が認められておらず、実効を期し難いこと、以上の如き重大な欠陥が存する。したがつて、現行制度上は、右争議権剥奪の代償措置を実質的に欠いているといわざるを得ないから、右争議権制約法規たる地公法三七条一項は違憲と解されるのみならず、かような法的状態において、右法規を適用して行つた本件処分もまた違憲たることを免れない。

3  また、佐教組が掲げた本件休暇闘争の目的との関係において、県人事委員会の果たした役割機能につき検討するならば、第一に、勤労者にとつては本来最も基本的な雇用関係そのものの継続か廃止かの問題(本件では定員削減をめざす退職勧奨による人員整理)について、人事委員会の権限はせいぜい一般的な人事行政の運営に関する勧告をなし得るにとどまり、しかもその範囲のことすら本件では全くなされていないこと、第二に、県人事委員会が極めて熱心且つ理を尽くして行つた教職員の給与、昇給昇格に関する要望と勧告が、県知事部局及び控訴人によつて無視され、一向に実効を収めるための努力が払われず、その結果教職員は給与上違法不当な取扱を受けたままに放置されていたこと、以上の事実が明らかであつて、本件休暇闘争がかかる違法不当な処遇、勤務条件を改善是正するために行われたやむにやまれぬ権利と生活の防衛を目的とするものであり、その戦術もせいぜい三・三・四割の年次休暇請求権の行使による措置要求大会への参加にとどまつたものである以上、人事委員会の代償措置機能喪失時における争議権回復の典型的な場合といわなければならず、したがつて、本件休暇闘争は憲法二八条の保障する争議権に基づくものであつて、これに対し地公法三七条を根拠としてなされた本件処分は違憲たることを免れない。

4  更に、本件処分には懲戒権を濫用した違法がある。

イ 控訴人は、本件休暇闘争をできるだけ回避しようとしていた佐教組幹部の懸命の奔走努力、忍耐強い交渉に対し、本来共に県知事に向かつてなすべき定員削減及び昇給昇格という二つの緊急課題の年度内解決又は解決への展望を拓くための努力を尽くさず、自治庁の権力による中央統制に屈してしまつた県知事の無為無策に迎合するか、或いは唯々諸々たる態度をとり、結局佐教組をして、孤立せしめ、本件休暇闘争に起ち上がることを余儀なくせしめたものであり、その非は専ら控訴人側にあるといわなければならない。

ロ 本件処分が発令されたのは、事件後一ケ月半を経た昭和三二年四月二日であるが、控訴人は、教職員の勤務実態を含めて本件休暇闘争の事情に最も精通している校長・地教委などからの内申のない同年三月二七日の段階で、既に処分の方針とその内容まで内定していた。しかも、それ以前に、教育長が文部省との打合せによつて処分の方針を決めて委員会に諮つているという、いわば典型的な中央指導型の見せしめ的懲戒でしかなく、換言すれば、教職員側に存する明らかに正しい動機目的、その企画と実施経過にみられる特別事情、統一行動の性格態様、そのもたらした好成果などを考慮に入れた処分権発動そのものに関する慎重審議を全く欠き、ひたすら中央の意を承けて早期処分を急いだものであり、かような処分手続の経過は、明らかに地公法二七条の公正の原則に反する。

ハ 本件処分は、停職一月ないし六月というものであつて、それ自体、既に詳述した具体的事実の下において、著しく比例原則に反する重く厳しいものである。のみならず、本件休暇闘争当時の佐教組はいわば校長組合であつたので、闘争の重要な役割を果たした校長らとの関係では明らかに不平等である。即ち、事態の急迫につれて一般組合員から執行部に対する強力な闘争への要求を受けて、組合役員が統一行動のあり方を構想して発議し、且つ、それが中央委員会、拡大闘争委員会、臨時大会等に付議される場合にも、また本件の闘争時点においても、重要な発言力と影響力をもつたものは、いうまでもなく当時校長職にあつた支部長らであり、中央委員の三割を占める校長たちであつた。このことと、控訴人が掲げる本件被処分者の選定とその理由は、およそ事実誤認の甚だしきものであり、更に、その役割との関係において、本件処分には平等の原則に反して著しい裁量の誤りがあるといわなければならない。もとより、被控訴人らは、校長であつた支部長や中央委員の処分を是としたり、これを求めるものではない。むしろ、この重要な意義をもつ休暇闘争につき原動力として重要な役割を果たした校長を免責するのは当然であつて、これら校長たちと同じように被控訴人らをも処分すべきではなかつたのである。

(四)被控訴人らの右主張に対する控訴人の反論

1  公務員の争議行為の全面一律禁止を合憲と解すべきであることは、被控訴人らの指摘する最高裁判所大法廷判決によつて、現時点では確立しているとみるべきである。かような現状の下では、審級制度下にある下級裁判所としては、これを尊重し、原則としてこれに従うべきものであり、右判例の趣旨に明らかに不合理な点があるとか、その判例が正当性の根拠としている基礎事情にその後大きな変化が生ずるなどこれに従うことのできない特別の事由が生じたとか、或いは具体的な事例に特別の事情があつて判例上の解釈をそのまま適用すると著しく不当な結果をもたらすなどの格別の理由が認められる場合でもない限り、これと別異の判断をすべきではない。しかるところ、右確定判例に対する被控訴人らの批判は、いずれも正鵠を得たものとはいい難い。

2  労働基本権を制限する場合にはこれに見合う代償措置を必要とするとしても、労働基本権なるものは結局勤務条件の改善に関する団体交渉が中核であるから、争議権を背景とした団体交渉に代わるべきものとしては、勤務条件の改善の要否等につき調査、研究をし、その結果を勤労者に代わつて関係方面に勧告する独立、公正な機関が法律上設けられていれば足りるし、本件の場合、右機関として設けられている県人事委員会が適切な勧告を行つているのであるから、それが現実に県の財政事情により十分に実施されなかつたとしても、それは右代償措置とは全く関係のないことである。けだし、私企業の労働者が争議権を行使し、その要求が合理的なものであつたとしても、企業能力の如何によつては、その要求する経済的利益を常に獲得できるとは限らないのと同様に、公務員について争議権の制限に見合う代償措置を講ずるといつても、それによつて常にその経済的要求が満たされなければならない必然性はないはずだからである。

3  のみならず、本件当時、即ち昭和二八年三月から昭和三一年末までの県人事委員会の勧告、要望とその実施状況は、本判決別表記載のとおりである。その内容をみるに、しばしば行われた勧告の殆んどは、定期昇給に関するものと、宿日直手当に関するものであるところ、宿日直手当については、財源の都合上勧告は実施されなかつたが、定期昇給については一部請求権の放棄を伴つて実施されたし、期末手当・勤勉手当の増額は勧告どおり実施されている。

右の昇給延伸又は一部請求権の放棄は、当時佐賀県のみが実施していたものではなく、地方財政の窮迫化の下で全国的に行われていたものであり、殊に九州七県では、昭和三〇年六月九日の九州地方知事会において、昇給延伸の申合せがなされていたほどである。

ところで、昇給の抑制について当時各府県でとられていた方策として、昇給延伸と一部請求権の放棄という二つの方法があつたが、昇給延伸は、その影響が後年にまで及び、果ては退職手当・恩給にも響くので、むしろ、昇給を定期に発令し、当面の財政上の赤字解消に資するため、一時期の昇給差額請求権を放棄させるほうが、職員のためには有利であるとの配慮から、佐賀県当局は特に請求権放棄という形をとつて昇給発令を行つたのである。即ち、当時の県の財政上、また全国的な地方財政の赤字状況の下でやむを得ないものとして、しかも職員には有利な請求権放棄による昇給発令がなされたものであり、佐賀県の職員についてのみ特に不利益な取扱がなされたものではない。

以上のような状況からすれば、なるほど人事委員会の勧告は数が多く、勧告どおり実施されなかつたものがあることは事実であるが、未実施はむしろ末梢的事項に関するものであつて、基本的事項に関する勧告は実施されており、未実施の事情にもやむを得ないものがあつたのである。しかるに、被控訴人らは、末梢的なことにこだわり、人事委員会が代償措置機関としての機能を果たしていなかつたと主張しているもので、不当といわざるを得ない。

(五)  当審における新たな証拠

〈省略〉

理由

第一被控訴人らが昭和三二年二月当時、原判決別表一記載のとおり、佐賀県内の各学校に勤務する教諭の職にある地方公務員であり、地公法による職員団体たる佐教組の役員の地位にあつたこと、佐教組が同年二月一四日から同月一六日まで佐賀県下の公立小中学校において、教職員の定員削減反対、昇給昇格の完全実施等を目的として、いわゆる三・三・四割の本件休暇闘争を行つたこと、控訴人が同年四月二日付で被控訴人らに対し、被控訴人らが本件休暇闘争の実施に関連して原判決別表二記載のような行為をなし、これが地公法三七条に違反するとの理由で、同表記載の各停職に処する旨の本件処分をなしたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

第二そこで、本件休暇闘争の背景、経過、態様等について判断するに、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

一佐教組は、佐賀県内の市町村立小中学校の教職員で組織された地公法五二条一項に規定する団体(単位団体)の連合体であつて、単位団体及びこれを組織する教職員(以下「組合員」という)の経済的、社会的、政治的及び文化的地位の向上をはかり、教育及び学問の民主化に努め、もつて文化国家の建設に寄与することを目的として、昭和二二年に組織された法人であり、他の都道府県教職員組合とともに連合体である日本教職員組合(以下「日教組」という)を組織している。佐教組は、最高議決機関として大会(毎年一回又は臨時に開かれ、組合員の直接無記名投票によつて選出された代議員をもつて構成する)、大会に次ぐ議決機関として大会より委任された事項及び大会に提出する議案の検討その他を任務とする中央委員会(原則として毎月一回開かれ、各支部ごとにその支部の代議員会において組合員により選出される中央委員及び支部長をもつて構成する)を設けるが、大会又は中央委員会の決議により、更に組合員の一般投票(全組合員の直接無記名投票により、その過半数の賛成がなければその効力を生じない)を行うことができ、大会又は中央委員会の決議が一般投票で否決されたときは、爾後その決議は効力を失う。執行機関として執行委員会を設け、同委員会は、議決機関から与えられた事項の執行に関すること、大会及び中央委員会に提出する議案に関すること並びに緊急事項の処理に関することを所掌し、その業務を処理するために書記局を置く。執行委員会を構成する役員は、執行委員長、副執行委員長、書記長、書記次長、会計委員各一名及び執行委員若干名である。執行委員長は、組合を代表し、執行委員会の議長となり、大会、中央委員会及び執行委員会を招集し、書記局を統括する。書記長は、正副委員長を補佐し、書記局の事務を統括する。執行委員は業務を執行する。書記局は、右役員及び組合員の中から執行委員会が選任し中央委員会が承認した専門委員その他で構成し、情報宣伝部、調査部、組織法制部、厚生部その他の部に分かれており、執行委員がその長を兼ねる。組合が闘争状態に入つた場合には、執行委員会を闘争委員会とし、闘争に関する組合業務を執行する。また、闘争委員会の構成員に各支部書記長が参加して構成される拡大闘争委員会は、闘争の具体策の検討にあたる。佐教組は、佐賀市、唐津市、三養基郡、神埼郡、佐賀郡、小城郡、東松浦郡、西松浦郡、杵島郡及び藤津郡に支部を、各学校に分会を置き、各支部は、組合の目的を達するために、所属の分会又は組合員と本部との連絡並びに分会相互間及び組合員相互間の連絡提携にあたり、必要な事業を行い、最高議決機関として総会、総会に次ぐ議決機関として代議員会(重要な議案については各学校長が参加する拡大代議員会を開くことがある)、執行機関として常任委員会を、役員として支部長、書記長、常任委員その他を設け、支部の議決機関及び執行機関は本部の拘束を受ける。

昭和三一年四月一日から昭和三二年三月末日まで、被控訴人藤山は執行委員長であつた。同中島は、副執行委員長であつて、昭和三二年一月一〇日頃から同年三月上旬頃まで、執行委員長藤山の中華人民共和国視察旅行中これを代理し、一方書記局情報宣伝部長として、下部組織に配布する佐教組発行の佐賀県教育新聞、短信等の編集及び企画の業務に従事していた。同北崎は、書記長として、右中島の業務を補佐していた。同丸山は、書記次長であり、一方書記局調査部長として県財政問題及び定員、勤務条件等の調査業務に従事していた。同吉町は、執行委員であり、且つ婦人部長であつた。同鶴田は、執行委員であり、一方書記局厚生部長として県学校生活協同組合の業務に従事していた。同杉山は、執行委員であり、一方書記局組織法制部長兼青年部長であつた。同樋口は佐賀市支部担当の、同末森は小城郡支部担当の、同松隈は佐賀郡支部担当の各執行委員であつて、各支部書記長及び中央委員を兼ねていた。なお被控訴人らは、いずれもいわゆる組合専従の教職員であつた。

二(一)  佐賀県財政は、昭和二七年度から実質的赤字を生じ、殊に県費負担公務員の増加とべースアップによる人件費の増加、災害の頻発、特に昭和二四年と昭和二八年の水害による事業費の増加及び歳入の不足を補うために起こした地方債の元利償還金の累積によつて、実質的赤字の累計は昭和二八年度には約五億二〇〇〇万円になり、このまま推移すれば累増することは明らかであつた。このため、昭和二九年三月の県議会で、小中学校の児童生徒数の自然増加に伴い教職員定数の一九一名増加を内容とする予算案が可決されたにも拘らず、同月末には、右財政の赤字を理由として、逆に教職員の減員を含む赤字解消の必要性を説く「県行政機構簡素化並びに人員整理に関する決議案」が一部議員から提出され、可決されるに至つた。

(二)  そこで、右決議案をきつかけとして、県当局は、赤字累増防止対策に乗り出し、「佐賀県部設置条例案」「佐賀県地方事務所を廃止する条例案」等の機構簡素化案や、人員削減案を昭和二九年五月の県議会に提出したが、そのうち教育費関係については、教職員の定員を一三六名削減し(但しこれに見合う欠員があつたので現実の人員整理はなかつた)、その他欠員補充のずれから生ずる人件費の節減、昇給昇格の抑制による経費の節減等で合計五五〇〇万円の経費を削減する案であつた。しかし、各議案に対する反対が強く、いずれも審議未了廃案となつた。

(三)  同年九月、県当局は、前記各議案が廃案になつたので、再びほぼ同様の議案を同月の県議会に提出し、激論のすえ可決された。そのうち教育関係の人件費については、ほぼ同年五月県議会に提出されたものと同様で、節減額は約五二〇〇万円というものであつた。

(四)  前記のとおり、教職員の定員一三六名削減は現実の出血を伴わなかつたとはいうものの、欠員の補充ができない結果になり、教育現場への影響は無視できないものがあつた。

(五)(1)  右のとおり経費節減策は講じられたものの、なお県財政の赤字は累増し、自治庁によりその実態調査を受けるなどしたが、昭和二九年度の累積赤字は八億五〇〇〇万円にも達し、昭和三〇年度当初の予算編成に際しては、赤字累増の実情に鑑み、昭和三〇単年度における健全財政を建前とし、一般会計において五〇億五〇〇〇万円として編成されたのであるが、その内容は、一般財源の全額を投入したにも拘らず、歳出規模は期末・勤勉手当を未計上とし、恩給費、失業対策費、公債償還費の義務的経費もその一部の計上を留保し、公共事業については雨期前に工事を執行しなければならないもののみについて一部を計上することとし、その他の経費はその殆んどを全部未計上とすることによつて、辛うじて収支の均衡がはかられた。そこで、今後に追加計上を必要とされるものが、一般財源において更に六億余円予想され、昭和二九年度の実質累積赤字を加えると、一五億円の赤字が予想される状態となつた。

(2)  県当局としては、県財政の建直しの希望を昭和三〇年七月に成立が予定されていた「地方財政再建促進特別措置法」(以下「再建法」と略称する)の実施に託していたが、これが継続審議となつた。しかし、財政の窮乏は一時の猶予も許されず、且つ、再建法成立後は直ちにその適用が受けられるようにするため、同年一〇月に至つて、昭和四〇年度までの一一年間にわたつて計画的に財政規模を縮小し、人件費の節減等によつて県財政の再建をはかる計画(自主再建計画)を策定した。この再建計画の内容は、公共事業費の七割、一般事業費の五割削減、一般補助金の五割縮減、県本庁及び出先機関の整理統合、各種委員会、審議会の整理及び定員の削減、昇給昇格財源の減縮、超過勤務手当の減額等、行財政のあらゆる面に及ぶものであつたが、歳入不足額の累計は計画の最終年度において実に九一億七〇〇〇万円にも達する計算になり、政府による何らかの財源措置なくしては、県財政の再建は不可能なことが明らかであつた。

(3)  昭和三〇年一〇月頃、県当局は、自主再建計画の一環として、控訴人に対し、教職員の当時の定員より七〇〇ないし八〇〇名削減する結果になる定数条例案の送付方を要請した。これは、地方交付税の基準財政需要額を基礎として、純粋に財政的見地から算出した定数を基準とするものであつたが、控訴人としては、そのような大量の人員削減は教育行政上全く不可能としてこれを拒否し、独自の立場から、人口及び財政規模等の類似した他県(以下「類似県」という)と著しく均衡を失しない限度で、現員より四〇八名(うち県立高校三三名、小中学校三七五名)を削減する結果になる定数条例(四〇八条例)案を作成し、地教委と協議を進めたけれども、大量の人員削減は教育現場の混乱を招くことを理由に反対する地教委との調整が難航し、四名の県教育委員の辞任という異常な曲折のすえ、残留委員のみで右条例案を送付し、同年一一月の県議会で可決された。

しかして、右削減の方法は、養護教諭と事務職員を主として、昭和三〇年度と翌三一年度の二年間にわたつて希望退職を募るという計画であり、相当強力な退職勧奨が行われたが、未亡人や海外からの引揚者が多かつた養護教諭、事務職員は右勧奨に応じない者が多く、一方退職勧奨の対象とならなかつた一般職員の中から、将来に見切りをつけて自発的に退職して行く者が多く出たため、結局第一年目である昭和三〇年度末には、最終目標にほぼ近い四〇五名が退職することになつた。

(4)  その結果、小学校では学級担任以外の教員が少なくなり、中学校では教員の授業受持時間が長くなり、出張等で教員が欠ければ校長が教壇に立つたり合併授業をしたりしなければならなくなるほど、教育現場にはかなり深刻な影響があつた。

(5)  もつとも、昭和二九年度、ひいて昭和三〇年度当初までは、佐賀県の教職員数は類似県と比較すればもとより、全国的にみてもかなり優位にあつたのであり、四〇八条例による教職員の一学級当りの配当率は、昭和三〇年五月一日現在の文部省指定統計による全国平均(小学校1.229、中学校1.602)と大差がなく、右条例による削減後の同年度末における現実の教職員の配当率も、右指定統計上は類似県に比較して劣るものではなかつたし、昭和三一年四月には二三〇名の教職員を新規に採用して、その補充が行われた。

(六)(1)  地方財政の窮乏は、当時における地方公共団体全般に通ずる問題であつて、昭和二八年度決算において都道府県及び五大市の殆んど全部、その他の市の三分の二、町村の六分の一が実質上赤字決算を行つていたのであるが、政府は、かような地方公共団体の財政再建のための措置の一つとして、再建法を立案し、同法は昭和三〇年一二月一六日可決成立した。この法律は、昭和二九年度における赤字の地方公共団体を対象として、自主的な申出に基づきこれを財政再建団体に指定し、財政再建計画(法定再建計画)を策定させて、既に生じた赤字を計画的に解消することを目的とするものである。具体的には、財政再建団体の赤字を再建債に肩代わりさせることにより、資金操作を可能ならしめ、再建債の元利金は国庫から利子補給を受けながら年次計画によつて償還して行き、その間に従来の不健全な財政運営を合理化しようとするものであるが、この法律により救済される財政再建団体は、右の如く再建債の発行等につき特典を与えられる代わりに、財政再建計画の策定を通じて政府(自治庁)から種々の干渉を受ける点で、財政面における自治の制限を甘受せざるを得ない立場にあつた。

(2)  再建法が成立したのち、県当局は、昭和三一年三月の定例県議会に基づく財政再建団体指定申出の議案を提出し、公聴会を経て同月二六日右議案が可決されたので、自治庁に右申出をなしてその指定を受け(ちなみに、同法の定める申出期限である同年五月三一日までに再建を申し出てその指定を受けた地方公共団体は、岩手・宮城・秋田・山形・福島・千葉・新潟・山梨・長野・京都・兵庫・山口・徳島・愛媛・佐賀・長崎・熊本及び鹿児島の一八府県を初め、市が一七一団体、町村が四〇九団体であつた)、これと前後して法定再建計画の策定に入つたが、右計画に対する自治庁の要求は予想以上に厳しく、その内容は自主再建計画に比し厳しいものとなつた。即ち、右計画は、昭和三〇年から昭和四〇年までの一一年間を財政再建期間とし、既に生じた赤字の大部分を再建債に肩代わりさせたうえ、政府の援助の下に、行政規模の適正化、行政組織の合理化を類似県と比較しながら進めようとするものであり、地方交付税の増加、再建債の利子補給、県民税の均等割の引上げ等により歳入の増加が見込まれたが、歳出面においては人件費を中心に自主再建計画より更に筋減を余儀なくされることになつた。

(3)  これを小中学校の教職員定数についてみると、当時一学級当りの教職員配当率が小学校1.214、中学校1.617であつたものを、類似県平均の小学校1.19、中学校1.58とし、これに学級数を乗じたものを基準として、児童生徒の自然増減に伴う学級の増減の見込まれるものについては、一学級一人の割で増減したものを教職員定数とし、当時二〇九名いた事務職員を昭和三五年までに全廃するというもので、計画の最終年度たる昭和四〇年度までに、前記自主再建計画によるものを含め結局約七〇〇名が削減されるうえ、一人当たりの給与単価を引き下げる目的で新陳代謝が行われ、そのため相当数の高年令者が退職を余儀なくされるというものであつた。

(4)  右計画は、前記のとおり、文部省の統計によると佐賀県が類似県に比し教職員の数が多いことから、これを類似県並みにするという構想から出たものではあるが、しかしながら、特に整理の重点目標となつた養護教諭と事務職員については、類似県では市町村費で賄われるものが多く、そのような養護教諭等は右統計上に現われないため、統計のみを根拠として各県の教職員数を比較するのは合理的でないこと、佐賀県は地理的な条件から、類似県に比し大規模学校、大規模学級が多く、教員一人当りの受持児童生徒数が多かつたので、同県の教職員は勤務条件上類似県より格段によかつたとはいえないことなど、教育現場の実態よりも財政的考慮に重点が置かれたものであつたから、右計画が実行されれば、教育現場では次のような混乱が危惧された。

イ 大部分の学校では、事務及び養護の仕事を学級担任が行うが、仕事を全廃するほかないこと。

ロ 教員の欠席が一名なら校長が教壇に立つことによつて補えるが、二名以上になると合併授業をやる以外に方法がないこと。

ハ 中学校では一教員が二教科まで受け持つことが可能であるが、計画によれが四教科、五教科を受け持つことになり、不可能を強いるばかりが、P・T・A、クラブ活動、校外指導等ができなくなること。

ニ 教職員の過重労働を若干でも軽減するために、事務員、給食婦を雇うことになると、赤字団体である市町村費では賄えないので、いきおいP・T・Aに陳情することになり、父兄の経費負担が増加すること。

ホ 県の教育費削減が市町村立学校の管理者である市町村に肩代わりされ、市町村費の窮乏に拍車をかける結果になること。

(5)  控訴人は、昭和三一年四月、同年度暫定予算による定数の範囲内で二三〇名の教職員を新規に採用したが、同年五月一五日に県議会で法定再建計画が議決され、同年六月一日自治庁の承認を得たのち同年八月頃、同年度本予算査定の段階において、文部省の指定統計による同年五月一日現在の佐賀県教職員の数が法定再建計画による定数より二五九名(高等学校も含む)超過していることが判明し、県当局としては、自治庁の承認なしに法定再建計画を超える人件費を予算に計上することができないところから(これに違反すれば、再建法二一条により、再建債の利子補給停止等の不利益を受けるおそれがあつた)、控訴人に対し右二五九名(その約半数は養護教諭と事務職員)を早急に整理するよう要求した。しかし、年度途中で大量の教職員の整理をすることが教育現場に及ぼす悪影響を顧慮した控訴人は、これに難色を示し、協議を重ねた結果、県当局において、右過員を昭和三一年度末まで整理せず、それまでの人件費を予算に計上するため再建計画の変更をするについて、自治庁の承認を得るよう極力努力する旨の協定が成立したものの、同年度末には右過員の整理されることは必至の情勢であつた。

(6)  一方給与関係についてみると、もともと佐賀県教職員の給与水準は福岡県に比し低位にあつた。そのうえ、教職員を含む佐賀県の全職員につき、県は財政難のため金融機関からの一時的借入金をもつて給与の支払をせざるを得ない有様で、昭和二九年六月頃から給与の遅払いや分割払いをすることが断続的に続いたのみならず、昭和五三年三月には従来の宿日直手当二五〇円を二〇〇円に減額した。

更に、県当局は、後記のとおり、昭和三〇年七月及び九月の二回にわたり県人事委員会から勧告又は要望がなされたのに、同年四月、七月、一〇月及び昭和三一年一月の各定期昇給の発令をせず、「昭和三〇年度の昇給昇格は定期日に発令するが、発令の日から昇給差額が七〇〇円未満の者は六ケ月分、七〇〇円以上一四〇〇円末満の者は六ケ月分、一四〇〇円の者は九ケ月分、一五〇〇円以上の者は一二ケ月分、それぞれ増額分の請求権を放棄する(以下「六・六・九・一二ケ月分の請求権放棄」という)」ことを受け入れて欲しい旨要請してきたので、佐教組、高教組、県職組はやむなく昭和三一年二月一六日右要請を受け入れる協定を締結して、ようやく発令がなされ、昭和三一年度分についても、同年七月及び一一月の二回にわたる県人事委員会の勧告にも拘らず、再び四月、七月、一〇月及び昭和三二年一月にも定期昇給の発令がなく、ようやく同年一月一六日に県職組との間には「三・三・六・九ケ月分の請求権放棄」の協定が成立し、一般職員には昇給の発令がなされたが、佐教組及び高教組との間では、右請求権放棄の点ではほぼ了解点に達していたものの、昇給昇格につき従来の教職員の二本建を一本化したいとの県当局の主張と、これに反対する教組側との間に了解がつかず、そのままでは定期昇給の発令される見込みは立たなかつた。

また、法定再建計画のうち給与関係については、昇給財源は昭和三一年度は昭和三〇年度末の現給の二パーセントを計上するが、昭和三二年度以降はこれを計上せず、一般財源の自然増の範囲内で行うこと、超過勤務手当は従来六パーセントであつたものを一般職員三パーセント、警察官四パーセントとするが、学校事務職員は昭和三一年度二パーセント、昭和三二年度一パーセント、翌年以降〇パーセントとし、従来二〇〇円であつた宿日直手当のうち宿直手当を昭和三一年四月以降一五〇円に減額するというものであつた。

(7)  ところで、昭和二八年三月から昭和三一年一一月までの間における県人事委員会の勧告等及びその実施状況の詳細は、本判決別表記載のとおりであるが、これによると、宿日直手当の増額については勧告は全く実施されていないが、定期昇給については昇給時期の延伸又は昇給差額請求権の一部放棄を伴つて不完全ながら実施されている。

ちなみに、県職員の昇給の抑制は、当時佐賀県のみが実施していたものではなく、全国的な地方財政の窮迫の下で多数の府県において行われていたものであり、殊に九州七県の知事会では昇給延伸の申合せがなされていたほどであるが、佐賀県当局が右昇給抑制の方策として、昭和三〇年度から昇給差額請求権の一部放棄という方法を採用するに至つたのは、昇給延伸はその影響が後年にまで及び、果ては退職手当や恩給にまで不利益が波及するので、むしろ、昇給を定期に発令し、一時期の昇給差額請求権を放棄させるほうが、職員のためには有利であるとの配慮によるもので、他の類似県においても、昇給抑制のため右のような請求権放棄という形をとり、また職員の宿日直手当についても一二〇円ないし二五〇円程度に抑える例が少なくなかつた。

次に、佐賀県当局が主張していた昇給昇格の一本化とは、昇給期にはその都度昇給させるが、その後昇格の条件を満たす昇格期がきてもその時は昇格させず、昇給の基準(前回昇給日から六月、九月又は一二月経過)をも伴せて具備するに至つた直後の昇給期において初めて昇給昇格させるというものである。この一本化は、従前昇給と無関係に昇格させていたこと(昇給昇格の二本建)による職員間の不均衡(昇格時期の違いにより、人によつて昇給三月、六月、九月で昇格による昇給が行われる)を是正し、予算の節約及び財政の質的改善若しくは合理化を目的とするものであるが、前記法定再建計画を遂行して行くためにはある程度やむを得ない方策であり、既に、佐賀県の一般職員や警察職員については右一本化が実施されており、教職員についてのみ二本建が残存するに過ぎなかつた。これに対し、佐教組側は、教職員には他の職員と違つて校長以外に職階制がないため、従前どおり昇給昇格の二本建てを維持する合理性があると主張していたが、同じ教職員でも国立学校のそれについては、従前より昇給昇格は一本化されていた。

三(一)  法定再建計画には、当初控訴人も批判的で、昭和三一年五月一日県知事に対し、「教職員の配置については、現行の定数条例による昭和三〇年度の配当基準を維持すること、完全昇給昇格に要する財源の確保について特に遺憾のないよう措置すること、宿日直手当は最低二〇〇円の予算措置を考慮すること、学校事務職員の超過勤務手当について、一般職員との間に差別を設けず均等に支給すること」を要望する意見書を提出したほどであつたが、同年一〇月一日以降教育委員が公選制から任命制に切り替えられてからは、控訴人の右の如き批判的な態度は見られなくなつた。

(二)  また、昭和三一年五月一四日には、地教委、県P・T・A連合会、県小学校校長会及び佐教組が「教育を守る県民大会」を共催し、一連の教育費削減計画が児童生徒に不幸をもたらすものとして、これを防止するため、教職員の現員確保や昇給昇格の完全実施を訴える決議をした。

(三)  更に、本件休暇闘争が近づいた昭和三二年二月初旬頃、鳥栖市校長会は、再建計画の教育に及ぼす影響を憂慮し、その変更を求める声明文を父兄に配布し、県小中学校校長会は、「もし、この財政再建計画が断行されることになれば、本県教育は沈滞し、児童生徒の学力低下、不良児の続出、勤務過重による教職員の疾患激増、年令低下による練達教師の減少等悲しむべき事態が年とともに深刻化することは火を見るよりも明らかで、正しく佐賀県教育は一大危機に直面しているというべきである。教職員の定数については現員を確保し、昇給昇格の完全実施を可能ならしめるため、再建計画の変更を要望する。不合理な退職勧奨に反対し、教職員の勤務年限延長を期する。」との決議文を採択し、これを県議会、控訴人、県当局等に提出し、また、県P・T・A連合会も臨時大会を開き、「郷土を愛し、教育を愛するが故に現状を黙視し得ない。総力を結集して教育費、教職員の削減に反対し、本県教育を守り抜くことを誓う。」との宣言文を採択した。

四(一)  佐教組は、前記一連の教育費削減計画に対し一貫して反対の態度をとり、昭和二九年五月及び九月の県議会における教育費削減案の審議に際しては、ニュースカーによる県民への訴え、各組合員による県議会議員、県教育委員等を自宅訪問しての陳述運動、組合員による一斉昼食抜き、県庁前坐り込み、デモ行進等による抗議運動、或いは県議会への陳情を行い、いわゆる四〇八条例の制定に対しては「人員削減、予算削減を強行するならば、我々は重大な決意で強じんな闘争を展開する。」旨の警告宣言を発し、「地方自治と教育を守る教職員総決起大会」を開催し、知事に対して条例案を議会に提出しないよう要求する大会宣言を採択し、課外授業、宿日直拒否の順法闘争等を行つた。

(二)  また、再建法案に対しては、同法は地方財政の赤字を解消するとの美名に隠れて、実質的には何らの財源措置をも講せず、一方的に地方自治体に対し機構改革、予算削減を義務づけるものであり、この法案が通過すれば、佐賀県は再建整備団体となり、政府の指示と監督の下で予算が圧縮され、予算の行使にもいちいち指図を受け、地方自治体としての機能を失い準禁治産者になり下がるなどと主張して、これに徹底的に反対したうえ、県当局による法定再建計画の策定に対しても、組合員が一斉に知事に対し自治庁の干渉を排除されたい旨の陳情書を提出し、市町村別に地教委、P・T・A、婦人会を主とする教育問題研究会を開催して、教育の現状についての認識を深めさせるとともに、定員削減反対の決議をし、分会ごとに出身県議会議員、控訴人等への陳情を行い、更に、前記のとおり、地教委、県P・T・A連合会、県小中学校校長会と共催で「教育を守る県民大会」を開き、教職員の現員確保や、昇給昇格の完全実施を訴える決議をした。

(三)  昭和三一年六月九、一〇日の佐教組第三一回定期大会において、出席代議員の中から、「従来まで佐教組は教育費予算削減と教職員の人員整理に対してあらゆる方法で反対運動を展開してきたにも拘らず、殆んど効果がなく、このままでは佐賀県の教育は重大な結果になる。佐教組としては更に強力な運動をする必要があるのではないか。」との発言があり、そのような危機感が代議員間にみなぎっており、結局、法定再建計画実行の最重要段階において実力行使を行う旨の決議がなされた。その後佐教組が行つた組合員の意向調査によれば、同盟罷業或いは一斉休暇闘争を行うべきであるとの意見が相当数現われるに至つた。

(四)  次いで、前記二五九名の過員が判明したのちに開かれた同年一〇月五日の第一六二回中央委員会において、「一率二〇〇〇円のベースアップを獲得すること、不当な再建計画の執行に反対し、計画変更を闘い取ること、定数条例、再建計画の首切りに反対すること、昇給昇格の完全実施を獲得すること」等を闘争目標とし、秋季から年末にかけての闘争方針と併せて、春季闘争方針として、「新年度予算の知事査定、首切りに対して、本年最大にして強力な行動と法廷闘争を準備すること」を決定した。

(五)  佐教組は、同年一〇月中旬二、三回にわたり、県知事及び総務部長に定員問題、給与問題及び昇給昇格問題等について要望書を提出して交渉したが、同月二二日には高教組と連名で県知事に対し、「一率二〇〇〇円のベースアップを実施されたい。教育の現場は四〇八条例、再建計画により非常な混乱と教育の低下をきたしているから、現定員を確保するため、中央に対し再建計画の変更を強力に折衝するとともに、追加予算及び新年度予算に計上されたい。」旨の要望書を提出し、回答を文書でなされたい旨要求したところ、県知事は同年一一月五日、要望内容の実現は現段階では困難である旨の回答書を発した。

更に、佐教組は、同年一一月一九日、控訴人に対し、「本年度予算に未計上の前記過員二五九名の人件費を早急完全に追加計上すること、五月一日以降の欠員を補充すること、新採用者で六ケ月間の条件付期間満了者は当然本職員に切り替えること、期限付採用という無謀な方式はこの際撤回すること、助教諭の単位修得のための講習会を開催するとともに、臨時免許状の再交付をすること、四月、七月及び一〇月の昇給昇格を早急完全に実施すること」などを要求する旨の要望書を提出した。

県当局は、同年一〇月から自治庁との間で右過員二五九名の予算措置に必要な再建計画変更のための折衝に入つたが、容易に自治庁の承認が得られないまま、同年一一月、昭和三二年度の予算編成方針を決定した。この方針によれば、右二五九名は昭和三二年三月末にこれを整理するというものであつたので、佐教組は再三控訴人や地教委に対し教育の窮状を訴えたが、財政再建団体は自治庁の承認等特段の事情がない限り、その再建計画に従つた財政運営をなすべき義務があるので、控訴人は、やむなく再建計画の線に沿つた右予算編成方針に従い、昭和三二年一月、この方針どおりの予算要求書を県当局に提出し、なお県当局と自治庁との折衝に事態改善の希望をつないだ。

(六)  同年一二月一〇日から三日間、福岡県教職員組合(以下「福教組」という)が、全組合員において三・三・四割の有給休暇をとり、措置要求大会を開催する闘争を行い、佐教組からも数名が応援に赴いていたので、右情報は直ちに佐教組組会員らに伝えられた。

以上のような情勢の下において、佐教組執行部は、同年一二月一三日及び一四日の執行委員会(藤山、中島、北崎、丸山、吉野、杉山の各被控訴人が出席)、一五日の拡大執行委員会(鶴田を除く各被控訴人が出席)で協議のすえ、佐教組が過去においてとつてきた運動方式では殆んど効果がなく、一部組合員からも執行部に対して強力な闘争方法を強く要求していたところから、組合員の団結力を最大限に示すとともに県民に問題の重要性を再認識させる効果があり、しかも学校の授業になるべく支障をきたさず、合法の範囲内で組合員全員が参加できる統一行動の方式として、右福教組の事例をも参考にしたうえ、第一日二割、第二日二割、第三日三割、第四日三割(以下「二・二・三・三」という)の休暇闘争を含む実力行使を中央委員会に提案することを決議し、同月二〇日の第一六四回中央委員会(鶴田を除く各被控訴人が出席)において右の提案をしたけれども、事重大であるので各分会において検討するということで継続審議となつたが、同時に、定員確保及び昇給昇格闘争の方法として、陳情、請願、坐り込みなどを行い、一方執行部は対県交渉を強化する等の戦術が提案され可決された(なお、被控訴人藤山は、前記のとおり昭和三二年一月一〇日頃から中華人民共和国の視察旅行に出発したため、右中央委員会を最後に、以後の執行委員会、中央委員会等には出席していない)。

(七)  昭和三二年一月一〇日から前記二五九名整理のための希望退職者の受付が始まつたので、佐教組は、年度末までには右整理のための強力な退職勧奨が行われることを予想し、同月一七日、県教育長に対し、本人の希望以外は勧奨を行わないこと、臨時免許状の再交付又は期限延長の措置をとり、臨時免許状所有者を勧奨の対象にしないこと、勧奨については不当な強制や人権を無視した言動がないよう、控訴人の責任において教育事務所及び地教委に徹底させること等を要望した。

(八)  同月二三日開かれた第一六五回中央委員会において、「一月二二日より二五日まで二支部単位の動員交渉を行う。一月二八日、二九日、三〇日の三日間坐り込み又はハンストを県庁前で行う。第一波実力行使として、二月四日より三日間、組合員の一割動員交渉を行う。第二波実力行使として、二月一二日より一週間の間昭和三二年度予算の知事査定の重要段階に、二・二・三・三の休暇闘争を行う。本部は実力行使を背景に、日教組及び県総評の協力を求め、徹底的な対県交渉を行う。」こと等が提案され、同中央委員会はこれらの議案について討議した結果、「二月四日より三日間、組合員の一割動員交渉を行う。」との原案を「二月四日より三日間、各分会選出の代議員数による動員交渉を行う。」と修正して可決し、二・二・三・三の休暇闘争の原案については、その割合について「二・二・三・三」「三・三・四」「五・五」「一割一〇日」「一〇割一斉」等多くの意見が出て紛糾したので、小委員会(各支部代表者一名ずつで構成)を設けて討議した結果、「三・三・四」と「一〇割一斉」の二案に絞つたうえ、本委員会で採決を行つたところ、「三・三・四」は途中で切崩しに合うおそれはあるが、平常の教員の出張や欠勤の実情から授業が確保できるということで、絶対多数の賛成をもつて「三・三・四」休暇闘争に修正して可決し、なおこれを全組合員の一般投票にかけ、二月一〇日に予定される臨時大会で最終的に確認することを決定し、その他の議案についてはいずれも原案どおり可決した。

右中央委員会には、中島、北崎、丸山、吉町、鶴田、松隈、樋口、末森の各被控訴人が出席し、冒頭に、佐教組執行部の「二・二・三・三休暇に対する法的見解」と題する文書を配布した。その内容は「予め二・二・三・三割を決定し、指令に従つて休暇をとる。校長との話合いで休暇がとれるよう努力するが、話合いがつかぬ場合は、校長の態度如何に拘らず請求書を提出して休暇をとる。休暇をとつた者は、支部ごとに開催する集会に出席する。この集会は昇給昇格、定員等について組合員個々人の意見を聴取するための集会である。年次有給休暇は権利であつて、組合が法律の規定に従つて個々人の意見を徴するための集会を開き、個々人の権利としての休暇をとつてこれに参加するもので、すべて合法的なものであり争議行為ではない。」との趣旨を含むものであつた。

(九)  佐教組執行部は、同年二月一日、二日及び四日の拡大闘争委員会における協議を経て、同月五日開かれた第一六六回中央委員会において、「休暇闘争の日程を具体的に二月一四日、一五日及び一六日とし、この三日間に各分会三・三・四の休暇闘争をもつて要求を貫徹するとの案件を全組合員の直接無記名投票に付し、二月九日までにこれを実施し集計すること、並びに同月一〇日に第三二回臨時大会を開催して、二月一四日、一五日及び一六日の三日間定員削減の重要段階に各分会三・三・四の休暇闘争をもつて要求を貫徹すること及びその実施要項に関する議案を同大会に提出すること」を提案し、同中央委員会はこれらの議案を原案どおり可決した。

右中央委員会には、中島、北崎、丸山、鶴田、杉山、樋口、末森、松隈の各被控訴人が出席した。被控訴人中島は各委員の質疑に対して応答し、同北崎及び丸山は、執行部からの右提案について具体的に説明し、「休暇闘争を行うと学校運営上支障をきたすのではないか。」との発言に対しては、「休暇闘争を実施した三日間だけは学業に支障をきたしても、その後において頑張つてその分を取り戻せば、一年全体としてみた場合何ら学業の低下ということはないから、別に差支えない。」「勤務時間というものは、一日に何時間と決まつていないから、三日間に休んだ時間だけで後で埋めて勤務すれば何も差支えない。」などと主張し、同杉山は、委員の中から「休暇闘争は非合法ではないか。」との質問が出たのに対し、「地方公務員法により我々は勤務中休暇をとつて勤務に関する措置要求をすることができると認めているから合法であり、その休暇を認めず拒否すれば、却つて拒否した校長等の違反になる。福教組においても三・三・四割休暇闘争を実施したが、何も処分問題は起こらなかつたことからみても、合法ということがはつきりしていると思う。又、顧問弁護士も合法であると明言している。」旨説明した。更に、佐教組書記局情報宣伝部は、その頃、組合員らに対し、右休暇闘争の必要性及び合法性を強調する文書等を配布して、組合員の休暇闘争への参加を促した。

(一〇)  佐教組執行部は、同月七日の執行委員会(中島、北崎、丸山、吉町、杉山の各被控訴人が出席)及び同月九日の拡大執行委員会(中島、北崎、丸山、吉町、杉山、樋口、末森、松隈の各被控訴人が出席)において、同月一〇日開催される第三二回臨時大会の運営について打合せを行い、同月一一日以降の分会、支部及び本部のとるべき詳細な具体的行動を規制する「一一日以降の行動について」と題する文書を右大会出席者に配布することを決定し、オルグ派遣についても協議したうえ、同月六日から八日までの間に各分会で実施された組合員の一般投票の結果を集計したところ、七八パーセント強が三・三・四休暇闘争に賛成であることが判明したので、これを右大会に提出して確認を受けることとした。

(一一)  ところで、県知事は同月初め頃から県立病院に入院し、佐教組からの交渉申入れに応ずることを拒否し、総務部長は同月六日頃上京し、県知事も同月八日頃退院すると同時に上京してしまつたので、佐教組は県当局と折衝する機会を失つた。

(一二)  佐教組は、同月一〇日第三二回臨時大会を開催し、「二月一四日、一五日及び一六日定員削減の重要段階に、各分会三・三・四の休暇闘争をもつて要求を貫徹する。この指令権を中央闘争委員中島勇に委譲する。」旨及びその実施要項を提案して、前記一般投票の結果を発表したところ、同大会は絶対多数の賛成でこれを確認し、右議案を可決した。

右実施要項が定めるところは、「各分会は二月一一日職場集会を開催し、闘争態勢を完了し、支部へ連絡する。各分会闘争委員長は、休暇届をそれぞれ前日までに取りまとめ学校長に提出する。届出とともに休暇中の児童生徒の措置と計画を提示する。一四日、一五日及び一六日の三日間、佐賀市公会堂及び唐津市公民館において要求貫徹総決起大会を開催する。この集会は昇給昇格、定員について、組合員個々人の措置要求書を提出するための集会である。休暇動員者が、児童生徒に対し、休暇日における自習計画を話し、徹底させる。低学年の場合は、隣接学級学年の組合員に細部を口頭で連絡する。休暇者以外の残留者は、休暇の事後処理を完全ならしめるよう措置する。隣接学年学級の自習の世話、臨時に起こる休暇動員者の事務は積極的に措置する。」こと等であつた。更に、同大会は「今日県当局は再建計画どおり昭和三二年度の予算編成を行いつつある。佐賀県教育は、教職員の三〇〇名に及ぶ大量退職という悲惨な断崖に立たされている。定員減が学校教育に重大な支障を与え、教職員に労働過重を強い、児童生徒の学力は低下の一途を辿つている。そして、父母の負担は増加し、義務教育の本質は歪められ、教育の機会均等は大きく侵害されているといわなければならない。この時にあたり、佐教組は、佐賀県教育を守るため、来る二月一四日以降第一波実力行使を断行し、県当局や政府の善処方を強く要望するとともに、教職員の団結を固め広く父母県民に理解を求め、教育を守る県民の総決起を促さんとするものである。」との宣言文を採択した。

右臨時大会には、藤山を除く各被控訴人が出席した。被控訴人中島は、大会冒頭「我々の定員削減及び昇給昇格問題は、県教委や県当局に誠意がみられないため、どうしても休暇闘争以外に要求を勝ち取る方法はない。福岡でもこの方法で要求を勝ち取つているので、我々もこれを実行すべきであると思う。」旨の挨拶をし、同北崎は、休暇闘争についての経過報告をし、全組合員の一般投票の集計結果を発表したうえ、代議員からの「一般投票によれば二割の反対者がいるが、これをどういう風に起ち上がらせるか。」との質問に対し、同丸山及び杉山とともに、「反対の強いところへはオルグを派遣する。明日でも代議員会で計画をしてその日と場所を知らせて貰えればオルグを出す。」旨回答し、更に、休暇届提出の点について「これはどうしても出しておかなければならないから、校長が受け取らないといつても押し問答をして、いずれ校長は帰つてしまうからその机の上へ置いておけばよろしい。」旨説明した。

なお、右大会の席上において、佐教組執行部は、佐教組闘争委員長中島勇名義の指令第五号なる文書を代議員に配布して、組合員らに伝達させたが、その内容は、各分会に対し、二月一四日、一五日及び一六日の三日間、三・三・四割の年次有給休暇をとり、佐賀市及び唐津市において開催する要求貫徹総決起大会への参加を促すものであつた。

(一三)  同月一一日、佐教組は、坂井教育長に前記第三二回臨時大会の宣言文を提出して、三・三・四休暇闘争を決定したことを通告するとともに、交渉をもちたい旨要求したところ、控訴人は翌一二日「三・三・四統一行動は学校の正常な運営を阻害するのみならず、教育上いろいろの問題を惹起するから絶対に回避して貰いたい。」旨の文書を交付したうえ、交渉にはいつでも応ずる旨回答した。

また、県P・T・A連合会からも佐教組に対し右休暇闘争の中止方を申し入れるなど、多くの父兄の間では、佐教組の運動の趣旨には十分な理解を示しながらも、休暇闘争のような実力行使には絶対反対の空気が強かつたし、更に、その頃開催された県校長会理事会では、右闘争参加のための休暇は承認しないとの方針が打ち出された。

ところで、当時上京していた宮副県総務部長は、教職員二五九名過員に対する昭和三一年度末までの予算措置及び昇給昇格の差額請求権放棄を当初の予定であつた昭和三〇年度並みの六・六・九・一二ケ月から三・三・六・九ケ月に緩和することについて、いずれも自治庁の承認を得たので、これを佐教組に伝えて休暇闘争を回避させるべく、県知事の命により二月一二日夜佐賀市に帰任した。そこで、佐教組は、翌一三日年後四時頃から、県庁総務部長室で総務部長と交渉をもつたところ、総務部長は、佐教組に対し、前記二点について自治庁の承認を得て解決したことを伝えて、翌一四日から休暇闘争を中止して欲しい旨を要望したけれども、右二五九名は年度末においても整理しないこと、昇給昇格の二本建の維持という佐教組の要求に対しては、何らの進展はなく、交渉は物別れとなつた。

そこで、佐教組は、各分会に対し休暇闘争の実施命令を打電したうえ、同日午後七時頃から翌一四日午前四時頃まで、控訴人とも交渉をもつたが、控訴人の回答は、「二五九名の整理については無理な勧奨はしない。」との点を除き、右整理そのものをしないこと及び昇給昇格の二本建維持については、右総務部長の回答以上のものでなかつたので、佐教組は、これを不満として交渉は遂に不調となり、ここにおいて同日より三・三・四休暇闘争に入つた。

(一四)  本件休暇闘争はほぼ予定どおり、県下小中学校の教職員のうち、二月一四日には二割七分余、一五日には二割七分余、一六日には三割三分余の教職員が一斉に年次有給休暇届を提出し、地教委ないし学校長の承認を受けないままで欠勤し、佐賀市公会堂及び唐津市公民館で開催された「要求貫徹総決起大会」に参加したものであり、右違法欠勤のうえ参加した教職員数は全稼働教職員五九二九名のうち約五二〇〇名にも達したが、各分会は、前記第三二回臨時大会の決定の趣旨に従つて児童生徒への影響を最小限度にとどめるため、休暇請求をする組合員が同一学年、隣接学級にかたよらないよう、また休暇をとる組合員は、テスト用プリントを作成したり自習計画等を綿密に練り、残留組合員に指導監督を依頼するなど充分の協議を整えた。更に、当時校長も大部分組合員ではあつたが、二月一二日佐教組執行部から「校長は要求貫徹大会に参加せず、学校運営責任者として残留し、正常な運営を阻害することのないよう十分留意する」旨の指示もあり、休暇を請求せず学校の運営に混乱をきたさないよう努力した。

そのため、本件休暇闘争期間中、臨時休校や授業の一部打切りが行われた学校も絶無ではなく、また予定が映画観賞や学芸会の練習等教科外のものに変更された学校もあつたが、普段でも小中学校では、研究発表会や研修或いは教科書展示会等のため、三割程度の教員が出張することも絶無ではなく、闘争に参加した教職員の前記のような周到な準備や残留教職員の努力の結果、総じて学校は平穏に運営され、担任教員の欠けた学級の児童生徒も平静に自習、テスト、合併授業を受けた。

五佐教組執行部は、本件休暇闘争直前の昭和三二年二月一一日から闘争最終日の同月一六日までの間、次のとおり、各自分担して県下各地の小中学校に赴き、組合員に対し休暇闘争への参加を呼びかけ、いわゆるオルグ活動を行つた。

(一)  被控訴人中島は、

イ 二月一一日午後四時から五時頃まで、佐賀市立成章中学校を訪れ、分会会議において、本件休暇闘争についての情勢報告をした。

ロ 同月一五日、山内村立山内東小、中学校及び山内西小、中学校が同日以後休暇闘争に参加できないとの情報を聞知したので、同日午後五時過ぎ頃、他二名とともに山内東中学校に赴き、同校職員室において、集つた右四校の教職員約三〇名に対し、定員削減及び昇給昇格等の問題について、教育の低下を招来している実情及び休暇闘争実施の理由を説明したうえ、「臨時大会で確認したように、この三・三・四割の休暇闘争に参加しようではないか。」と呼びかけた。

(二)  被控訴人丸山は、

イ 二月一一日午後、日教組の斉藤中央執行委員とともに、伊万里市立山代中学校、山代東小学校及び東山代中学校に赴き、いずれも職員室において、教職員三、四名ないし一〇名位に対し、「大会で決定して一四日から三日間やるようになつているが、学校の態勢はどんな風になつていますか。」「今回の三・三・四割休暇については大会参加をよろしく頼む。」などと申し向け、休暇闘争実施のための態勢の確立と闘争への参加を促した。

ロ 同月一二日午前九時三〇分頃から杵西教育事務所で開かれた佐教組西松浦支部拡大代議員会に、右斉藤とともに出席し、代議員に対し執行部の休暇闘争意思を伝えた。西松浦支部はもともと休暇闘争の実施には反対の意見が強く、右拡大代議員会は佐教組の前記第三二回臨時大会の決定に従うか否かを決するために開かれたものであつたが、右執行部の意思伝達を受け、票決の結果、右大会決定に従つて休暇闘争を実施することに決定した。

ハ 同月一二日夜、右斉藤とともに西有田村立大山小学校に赴き、休暇闘争についての分会会議を開催中の同校教職員に対し、定員削減及び昇給昇格等の問題につき情勢を説明したうえ、「今度の闘争は合法的なもので心配はいらない。」と述べて、休暇闘争の必要性及び合法性を強調した。

ニ 同月一三日正午から午後一時頃までの間に、福教組久保田委員長とともに佐賀市立昭栄中学校、本庄中学校及び本庄小学校を訪れ、昭栄中学校においては職員室で約二〇名の同校教職員に対し「明日から休暇集会に入るので最後まで頑張つて下さい。」と申し向け、また、本庄中学校においては校長室で同校の教職員七、八名に対し、「いよいよ明日からやりますが、他の地区は大体固まつているようだ。こちらはいかがですか。」「休暇届を出して一緒に参加して欲しい。」旨申し向け、更に、本庄小学校においては職員室で同校の数職員一二、三名に対し、休暇闘争の経過、各支部の状況等について報告したうえ、「今回の実力行使には絶対に脱落しないようにして、しつかりやつて下さい。」と申し向けた。

三 被控訴人吉町は、

イ 二月一三日午後六時三〇分頃、神埼町神埼中学校に赴き、同校の教職員に対し、「御苦労さん。」などと述べて激励した。

ロ 同日午後一〇時三〇分頃、鹿児島教組副委員長らとともに北茂安村立北茂安中学校に赴き、分室会議を開催中の同校教職員に対し、「休暇闘争に突入するように」と申し向け、更に、同日午後一一時頃、右副委員長らとともに北茂安村立北茂小学校に赴き、分会会議を開催中の同校教職員約三〇名に対し、「組合で決まつたことですから、十分考えてやつて下さい。」「女性はこんな場合力を入れぬ傾向がありますが、今度はしつかりやつて下さい。」と申し向けた。

ハ 同月一五日午後零時三〇分から午後一時頃までの間、右副委員長らとともに久保田村立思斉小、中学校に赴き、両校教職員に対し、「お互いに手を取りあつてやりましょう。」と述べて激励した。

ニ 同日午後一〇時三〇分から午後一一時頃までの間、被控訴人末森らとともに芦刈村立芦刈小、中学校に赴き、両校教職員を激励した。

(四)  被控訴人鶴田は、

イ 二月一三日午後四時頃から午後九時頃までの間に、福教組渡辺青年部長らとともに、小城町立小城中学校、岩松小学校、桜岡小学校、三里小学校、晴田小学校、三日月村立三日月中学校、牛津町立牛津小学校、牛津中学校、砥川中学校、芦刈村立芦刈中学校、芦刈小学校に赴き、各学校教職員に対し、渡辺が「昔の団結があれば必ず要求は貫徹することができる。福教組も昨年闘争に勝つことができた。昔、明日からの闘争に参加して下さい。」と述べたうえ、被控訴人鶴田が「よろしくお願いします。」と申し向けて、休暇闘争への参加を要請した。

ロ 同月一六日午前一一時頃、福教組久保田委員長らとともに、有明村立有明東小、中学校及び有明西小、中学校に赴き、久保田が各校長に対し、「今日は最後の日ですから、どうか休暇を認めて大会に参加させて下さい。」などと述べ、被控訴人鶴田が有明東中学校において事務職員吉武毅に対し「本日の大会に参加して下さい。」と、有明西小学校において同校長に対し「今日は土曜日だから午後は自由に参加させてくれませんか。」と、有明西中学校において同校長に対し「校長先生もお困りでしようが、御協力をお願いします。」と、それぞれ申し向けた。

(五)  被控訴人杉山は、

イ 二月一二日午後一時頃、佐賀市立城南中学校分会から休暇闘争についての法的説明を受けたいとの要請があつたので、同校に赴き、図書室において分会会議を開催中の同校教職員に対し、「三・三・四の休暇をとつて措置要求することは何ら違法ではない。」と述べた。

ロ 同月一三日、佐賀市内のP・T・Aが教職員に対し闘争に参加しないよう圧力をかけているとの情報を聞知したので、同日午後八時三〇分頃再び右城南中学校に赴き、同校の教職員に対し、福教組の行つた三・三・四割の休暇闘争は非合法とはされなかつたし、日教組の顧問弁護団の見解も同旨であると述べ、休暇闘争の合法性を強調した。

(六)  被控訴人樋口は、

イ 二月一二日午後零時頃、佐賀市立金立小学校に赴き、休暇闘争についての同校分会の現状を聴取したうえ、同校の教職員に対し、なお一層結集を固めるべきことを要請し、同日午後三時頃、同市立高木瀬中学校に赴き、同校及び協楽園小学校教職員に対し、昇給昇格及び定員削減等の問題について説明したうえ、休暇闘争に関し、「校長に対し休暇届を出した場合、校長が別の日を指定するのは問題はないが、大会参加はしてはいけないと命令することは地公法に違反する。組合は弁護士も用意している。休暇闘争の責任は組合がとる。」と申し向けた。

ロ 同月一三日午前一一時頃、佐賀市立兵庫小学校に赴き、同校分会の休暇闘争に関する状況を聴取したうえ、同校の教職員に対し休暇闘争への団結を要望した。更に同日午後六時三〇分頃、再び右小学校に赴き、休暇闘争に参加するか否かの態度決定のための分会会議の席上、同校の教職員に対し、休暇闘争の効果、P・T・A等との関係及び客観情勢等について説明したうえ、「市内各分会は殆んど休暇闘争への参加態勢が確立しているので、兵庫小分会も早く参加を決定して欲しい。」と申し向けた。

ハ 同日午後零時三〇分頃、佐賀市立巨勢小学校に赴き、同校の教職員に対し、「教頭が踏み切ることによつて決定するから、教頭は組合員の先頭に立つてやつて貰いたい。」と要請した。更に同日午後七時頃、再び右小学校に赴き、分会会議中の同校教職員に対し、「同一地域で中学は早く決定しているのに、小学校だけ決定されないはずはない。」と申し向けた。

ニ 同月一四日午前九時三〇分頃、佐賀市立本庄中学校に赴き、同校の教職員に対し、「市内全部参加している。早急に参加されたい。」と申し向けた。

ホ 同日一五日前記兵庫小学校からの出席予定者六名中三名が参加しなかつたため、要求貫徹総決起大会の席上、「兵庫小学校分会はP・T・Aの圧力により脱落者を出している。これに対して執行部はいかなる措置を考えているか。」との緊急動議が提出され、執行部は急遽オルグを派遣することを約した。これに基づき、被控訴人樋口が同日午後二時三〇分頃兵庫小学校に赴き、同校の教職員に対し、「休暇闘争が予定どおり遂行できているのは団結の賜物である。明一六日も予定どおり運びたいと思うので、更に参加をお願いする。」と申し向けた。

(七)  被控訴人末森は、

イ 二月一三日午後四時頃から、佐教組小城支部傘下の小中学校教職員に対し、休暇闘争への参加を促すため、同小中学校へ被控訴人鶴田及び福教組渡辺青年部長らと赴き、そのうち小城町立小城中学校、岩松小学校、桜岡小学校において、被控訴人末森が「ここにおみえになつている先生は福教組の青年部長で、明日の我々の三・三・四の闘争について応援にこられた。」「明日から三・三・四闘争に入る。三日月も解決したからどうか皆さんも御協力下さい。」と申し向け、渡辺が「皆の団結があれば必ず要求は貫徹できる。明日からの休暇闘争に参加して下さい。」と申し向けた。

ロ 同月一五日午後一〇時三〇分頃、被控訴人吉町らとともに前記芦刈小、中学校に赴き、休暇闘争に関する地域社会の状況を聴取したうえ、両校の教職員を激励した。

(八)  被控訴人松隈は、

イ 二月一三日午後六時頃、東与賀村立東与賀小学校に赴き、分会会議中の同校教職員に対し、「東与賀村はまだ分会の会議中で態度未決定だという情報があつたのでやつてきた。佐賀郡、市以外では完全に闘争態勢に突入できるようになつた。午後三時現在の佐賀郡部の状況は、南部地区は闘争突入決定、危ぶまれていた大和村六校も突入に決定した。どの地区でも村教委、P・T・Aが圧力をかけているが、これを恐れては突入はできない。お互いの身分についてはお互いが守る必要がある。P・T・Aとの連絡が十分でなかつたのは遺憾であるが、後で理解して貰うよりほかに方法はない。子供に不自由をさせないという大きな目的は同様である。休暇は我々の権利であるという闘争本部の見解は成り立つている。三・三・四は学校の運営ができないということではないし、普段でもこのくらいの人数が欠けることはあるから、校長がこれで学校運営に支障があるといつて休暇を拒否するのは納得できない。法的なことはすべて組合本部員が責任をとるので、本部の指示に従つて行動して欲しい。首切りは誰がされるかわからないが、その者の行手には生活苦が待つているので、全員が団結して歩調を合わせて貰いたい。」旨申し向け、更に、同日午後八時頃、同村立東与賀中学校に赴き、分会会議中の同校教職員に対し、休暇闘争に突入して要求を貫徹すべきことを強調した。

ロ 同月一五日午後八時三〇分頃、前記東与賀小学校に赴き、東与賀村及び久保田村の教育長、小・中学校長、教頭らが休暇闘争についての対象を協議するために連絡会議を開催中、東与賀小学校上野教頭に面会を求め、面会を拒否されるや、宿直中の福地教諭に対し、「一六日は最後の日だから脱落しないで欲しい。上野教頭には是非一六日に参加するように伝言して欲しい。」と申し向け、更に、同日午後九時三〇分頃帰宅途中の上野教頭に対し、一六日の休暇闘争への参加方を要請した。

ハ 同月一六日午前六時五〇分頃、東与賀中学校古賀教頭の私宅を訪問し、「是非要求貫徹のための大会に出席して貰いたい。」旨申し向け、自分の乗つてきた自動車で大会の開かれる佐賀市へ赴くよう促した。更に、同日午前八時頃、前記東与賀小学校を訪れ、上野教頭に対し、「上野教頭のような大物が参加しないのは困るので、是非もう一度考えて欲しい。」と申し向けた。

六本件休暇闘争後の昭和三一年度末までに、前記勧奨退職による二五九名の整理が実行され、昇給昇格の一本化も実現したが、昭和三二年三月の県議会において、知事は昭和三二年度には児童生徒の自然増による教職員六六名の増加のほか一二〇名の定員増をはかるようにすると言明し、県当局において自治庁と折衝を重ねたすえ、同年九月右定員増による再建計画につき自治庁の承認を受けた。

第三以上に認定した事実によれば、本件休暇闘争は、佐教組の指令によるいわゆる一斉休暇闘争であつて、学校業務の正常な運営を阻害する争議行為(同盟罷業)であるといわざるを得ないところ、初控訴人らは、佐教組執行部の構成メンバーとして、前記執行委員会、拡大執行委員会、中央委員会及び大会の各決議を通じて、本件休暇闘争を企画立案したうえ、他の組合員らとその実行を共謀し、更には、組合員らに右闘争の合法性を強調したり、同闘争に参加するように促したりしたものであつて、被控訴人らの右行為は、地公法三七条一項後段に違反することが明らかである。

一ところで、被控訴人らは、地公法三七条一項の規定は労働基本権を認めた憲法二八条に違反する無効なものであるとか、公立小中学校教職員の争議行為、少なくとも本件の如き動機、手段、目的をもつた争議行為は、地公法三七条一項の禁止する争議行為に該当しないなどと主張する。

しかしながら、右の点については、既に、最高裁判所大法廷が昭和五一年五月二一日の判決(刑集三〇巻五号一一七八頁)において、地公法三七条一項は一切の地方公務員の争議行為を禁止するものであり、かように解しても、それ自体としては憲法二八条に違反するものではない旨明確に判示しているところであり、これに先立つ同裁判所大法廷昭和四八年四月二五日判決(刑集二七巻四号五四七頁、国公法九八条五項の合憲性肯定)、その後に続く同裁判所大法廷昭和五二年五月四日判決(刑集三一巻三号一八二頁、公労法一七条一項の合憲性肯定)、同裁判所第三小法廷昭和五三年七月一八日判決(民集三二巻五号一〇三〇頁、公労法一七条一項につき同旨)及び同裁判所第一小法廷昭和五六年四月九日判決(民集三五巻三号四七七頁、公労法一七条一項につき同旨)第一連の判決に照らせば、公務員の争議行為を一律全面的に禁止する規定を合憲とする最高裁判所の判例は、現時点においては、確立するに至つているものと解するのが相当である。

したがつて、審級制の訴訟制度の下においては、最高裁判所の有する判例統一機能及び法的安定性の観点からして、下級裁判所としては、最高裁判所の判例の趣旨に明らかに不合理な点があるなど特段の理由がない限り、右判例を尊重しこれに従うべき義務があるというべきところ、右判例に対する被控訴人らの批判的主張を十分に検討してみても、いまだ右特段の理由があるとは認め難い。

二次に、被控訴人らは、地方公務員の労働基本権を制約する代償措置機関としての人事委員会がその本来の機能を喪失した状況の下においては、地方公務員は地公法三七条一項により奪われた争議権を回復する旨主張するので、この点について判断する。

確かに、代償措置制度こそは、地方公務員に対する労働基本権の制約が違憲とされないための強力な支柱なのであるから、仮に右制度の一環としての人事委員会がその本来の代償機能を果たしていないと認められる場合には、地方公務員が専らその正常な運用を要求して相当と認められる範囲を逸脱しない手段態様で争議行為に出たりしても、これを違法視して、その法律上の責任を問うことは許されないと解すべきであろう。けだし、右の場合、被控訴人らの主張するように、公務員が地公法三七条一項により奪われた争議権を回復すると解し得るか否かはともかくとして、右の責任を問うことは、少なくとも憲法二八条の基底をなす勤労者の生存権保障の趣旨に違背することが明白だからである。

もつとも、右人事委員会が代償措置機関としての権限を行使するか否かは、給料表に関する報告等特別の規定がある場合を除き、同委員会の合理的な裁量に委ねられていると解すべきであるから、同委員会が右の権限を行使しないからといつて、直ちにその代償機能を果たしていないと断定し得ないのはもとより、右権限を行使した場合においても、その実現は関係者すべての真摯な努力にかかつているものであるし、就中、それが地方公務員の給与、即ち県の支払うべき人件費の改善に関する勧告であるときには、かかる人件費が競合する県の一般会計の諸需要の中でどのような優先順位を占めるべきかについての判断は、人事委員会が有する右の代償機能とはおのずから次元を異にするものであり、地方公務員の給与は、人事委員会からの勧告等を受けた県当局及び議会が県政全般との関連において、財政事情を考慮し、公務員の生存権保障の観点から責任をもつて決定すべき性質のものであると考えられるから、当局側のとつた措置について、その財政事情の下で真にやむを得ない事由があると認められる場合には、人事委員会から要請されたものをそのまま受け入れなかつたとしても、同委員会が本来の代償機能を果たしていないと速断すべきでないことはいうまでもない。

そこで、本件についてこれをみるに、佐賀県においては、極度の財政難を理由として、昭和二八年頃から定期昇給の発令日が厳守されなくなつたのみならず、給与の遅払いや分割払いが断続的に続いたうえ、宿日直手当についても昭和三〇年三月に従来の二五〇円を二〇〇円に、昭和三一年四月には宿直手当のみ更に一五〇円に減額されたので、昭和二八年三月から昭和三一年一一月までの間に、県人事委員会より県当局に対し、しばしば右改善を求める勧告若しくは要望が行われたが、宿日直手当の増額は全く実施されず、定期昇給についても昭和三〇年度から昇給時期の延伸は避けたものの、その代わりに昇給差額請求権の一部放棄という方法を採用して、不完全な実施にとどまつたのである。しかしながら、県職員の昇給の抑制は、当時佐賀県のみが実施していたものではなく、全国的な地方財政の窮迫の下で多数の府県において行われていたものであり、殊に九州七県の知事会では昇給延伸の申合せがなされていたほどであつて、他の類似県においても、昇給抑制のため右のような請求権放棄という形をとり、また職員の宿日直手当についても一二〇円ないし二五〇円程度に抑えられる例が少なくなかつたのであるから、これらの諸事情を併せ判断すれば、佐賀県において前記人事委員会の勧告等が完全には実施されなかつたとしても、その点については、当時における県財政上ある程度やむを得ない事由があつたものと推認せざるを得ないし、現に、昭和三〇年度の昇給差額六・六・九・一二ケ月の請求権放棄については、佐教組、高教組、県職組がやむを得ない措置としてこれを受け入れる協定を締結しており、更に昭和三一年度についても、昭和三二年一月頃、県当局と県職組との間においては三・三・六・九ケ月の請求権放棄の協定が成立し、佐教組及び高教組との間においても、ほぼ同様の了解点に達していたのである。ただ、教職員についても他の一般職員と同様昇給昇格の一本化を主張する県当局と、これに反対し、教職員については従来どおり二本建を主張する教組側との間に意見の対立が残つていたため、そのままでは定期昇給の発令される見込みが立たなかつたに過ぎない。かくするうち、本件休暇闘争の前日である二月一三日になつて、佐教組と宮副県総務部長との交渉がもたれ、その席上、宮副総務部長から佐教組に対し、教職員二五九名過員に対する昭和三一年度末までの予算措置及び昇給昇格の差額請求権放棄を当初の予定であつた昭和三〇年度並みの六・六・九・一二ケ月から三・三・六・九ケ月に緩和することについて、いずれも自治庁の承認を得て解決した旨伝え、翌一四日からの休暇闘争を中止して欲しい旨を要望したけれども、二五九名は右昭和三一年度末においても整理しないこと、昇給昇格の二本建の維持という佐教組の要求については何らの進展もなく、交渉は物別れとなり、次いで行われた佐教組と控訴人との交渉も不調に終わつたため、佐教組は本件休暇闘争に突入したのである。

右によれば、佐賀県人事委員会が県当局に対してしばしば行つた勧告若しくは要望は、専ら、県職員全体の定期昇給発令日の厳守及び宿日直手当の改善に重点が置かれていたものであり、これがそのとおり実施されなかつた点については、当時の県財政上ある程度やむを得ない事由があつたと認めざるを得ないし、また、佐教組としても、単に右勧告等の完全実施を要求する程度のことならば、敢て本件の如き争議行為に出る緊急な必要性はなかつたと考えられるのであつて、本件休暇闘争は、右勧告等の完全実施を要求することよりか、むしろ、前記法定再建計画に反対し、同計画実施の一環としての教職員二五九名の整理及び昇給昇格の一本化を阻止することに、その主たる目標がおかれていたものといわざるを得ない。

被控訴人らは、県人事委員会が右二五九名の整理問題等について何らの勧告も行わなかつたことを捉えて、その代償機能が失われていた旨主張するけれども、佐賀県当局が策定した法定再建計画は、窮迫した県財政を破局から救うためやむなく実施された措置であることは疑いのないところであつて、右計画実施の一環としての教職員二五九名過員の整理や昇給昇格の一本化の問題は、従来類似県に比して優位にあつた佐賀県の教職員数を類似県並みにし、その昇給昇格についても県の一般職員と同様に取り扱うべきであるとの構想から出たものであり、教育現場の実態より財政的考慮に重点が置かれた嫌いはあるものの、単に予算削減という目的にとどまらず、財政の質的改善若しくは合理化という再建法の趣旨を実現する面からも要請されており、その実施如何は右計画の成否を決するほど重要な事項であつたと考えざるを得ないし(ちなみに、右二五九名を整理せず、計画外の人件費を予算に計上した場合には、前記のとおり、再建法二一条により再建債の利子補給停止等の不利益を受けるおそれがあつた)、右二五九名の整理時期を昭和三一年度末まで延伸するために自治庁と折衝を重ねた県当局の努力にも多とすべき点があつたことは否定できないから、これらの問題について県人委員会が何らの勧告も行わなかつたからといつて、直ちに、同委員会が本来の代償機能を果たしていなかつたと断定することはできない。

そうすると、本件休暇闘争は、県人事委員会が本来の代償機能を喪失した状況下において、専らその正常な運用を要求して行われたものとは認められないから、これに参画した被控訴人らの行為を地公法三七条一項後段に違反するものとして、その法律上の責任を問うことは、いまだ、憲法二八条の趣旨に違背するとまでは断じ難い。

三更に、被控訴人らは、種々の理由をあげ、本件における被控訴人らの言動は到底懲戒理由たり得ない旨主張するので、以下順次検討する。

(一)  地公法三七条一項後段の「企て」「共謀」「そそのかし」「あおる」等の行為は、当該争議行為に必要不可欠か、通常随伴するものである限り、正当な組合活動と評価され、懲戒処分の対象とされないとか、争議行為を懲戒処分の対象とすることは、必要な限度を越える不利益であつて、憲法二八条に違反するとかの主張については、地公法三七条一項が一切の地方公務員の争議行為を禁止していると解する前記最高裁判所の確立した判例に従う限り、到底これを採用することができない。

(二)  争議行為に参加した組合員又はこれを企画指導した組合幹部の行為は、個別的労働関係の当事者としての労働者の行為につき個別責任を追及することを本質とする地公法二九条一項の懲戒規定の対象にはならないとの主張については、争議行為が集団的行為であるからといつて、その集団性の故に争議参加者個人の行為としての面が当然に失われるものではないから、組合決定に基づく争議行為といつても、それが違法なものであるときには、組合自体の責任を生ずることのあるのは勿論、当該違法行為者自身においても個人責任を免れないものといわなければならない。右主張も採用することができない。

四叙上のとおりであつて、本件休暇闘争については、これに参画した被控訴人らに地公法二九条一号該当の懲戒事由が存するというべきところ、地公法二九条一項によれば、懲戒処分として戒告、減給、停職及び免職の四種が定められているが、そのいずれを選択するかは、懲戒権者たる控訴人の裁量に委ねられているものであつて、控訴人が裁量権の行使としてなした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当性を欠き裁量権を濫用したと認められるものでない限り、違法とはならないものと解すべきである(最高裁判所第三小法廷昭和五二年一二月二〇日判決、民集三一巻七号一一〇一頁参照)。

右の見地に立つて、本件処分が社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量権を濫用してなされたものと認められるか否かについて検討する。

(一)  先ず、佐賀県教職員の労働条件のうち定員関係についていえば、昭和二九年九月県議会で可決された経費節減計画による定員の削減、翌三〇年の自主再建計画の下における四〇八条例による四〇五名の退職によつて教育現場に影響が出始めたのに、再建法に基づき昭和三一年に策定された再建計画によれば、計画の最終年度たる昭和四〇年度までに、自主再建計画によるものを含め約七〇〇名に上る定員削減が行われるほか、新陳代謝計画によつて多数の高年令層が退職を余儀なくされることが明らかであり、その一環として昭和三一年度末には二五九名の人員整理が必至という情勢にあつた。また、給与諸手当についても、他県に比し決して恵まれた状態とはいえなかつたのに、昭和二八年頃から定期昇給の発令日が厳守されなくなり、給与の遅払いや分割払いが断続的に続き、昭和三〇年度には定期昇給の発令を受けるため、やむなく六・六・九・一二ケ月分の昇給差額請求権放棄という県当局の要求を受け入れたのに、昭和三一年度には三・三・六・九ケ月分の請求権放棄のほか、更に従来より不利になる昇給昇格の一本化という県当局の要求をのまない限り、発令される見通しがないうえ、法定再建計画では将来昇給ができるかどうかは県の歳入の自然増という不確かな要素のみにかかり、その他宿日直手当の連続二回にわたる減額が行われるなどしたため、佐教組の組合員がその勤務条件ひいては県の教育の将来に対し、絶望感ないし焦燥感を抱いたのは当然であり、本件休暇闘争後の昭和三二年度には一二〇名の定員増を伴う法定再建計画の変更を自治庁も承認せざるを得なかつた実情などからみて、組合員の勤務条件の維持改善を基本的任務とする佐教組が、昭和三二年二月の時点において、あくまで法定再建計画実施の一環としての教職員二五九名の整理及び昇給昇格の一本化に反対したことについては、それなりの正当性が認められ、右反対実現の手段として本件休暇闘争を敢行した組合員らの心情は十分理解できるところであるし、法定再建計画が教職員の勤務条件ひいては県の教育全般に及ぼす影響を憂い、反対の態度をとつたのは、ひとり佐教組のみではなく、県P・T・A連合会、小中学校校長会等も軌を一にして、その変更方を要望していた事実も、これを看過することはできない。

しかしながら、再建法適用前において、佐賀県教職員の定員及び給与等の関係につき前記のような措置がとられたことについては、当時の県財政上ある程度やむを得ない事由があつたと認めざるを得ないし、再建法の下で策定されたいわゆる法定再建計画は、県財政を破局から救うためやむなく実施された措置であり、前記教職員二五九名の過員整理及び昇給昇格の一本化等は、当時の県政に対する至上命令ともいうべき右再建計画の一環として実施すべく立案されざるを得なかつたものであつて、その実施如何は右計画の成否を決するほど重要な事項であつたことも、これを否定することができないのであり、再建法が政府の中央集権を強化し、地方公共団体を準禁治産者扱いするものであるなどという佐教組の批判は、必ずしも当を得たものとはいい難い。もとより、法定再建計画は、県行政の全分野にわたつて全国的な水準を比較検討のうえ、経費の節減、事業規模の縮小等をはかるものであつて、ひとり教職員の人件費のみが削減の対象となつたものではなく、定員削減、昇給延伸及び昇給差額請求権の一部放棄等は、一般職員及び警察職員等県職員全般につきひとしく行われたものである。ただ、教職員については、その一学級当りの配当率が従来類似県に比して優位にあつたため、その人件費の削減が一層強く要求されたに過ぎない。なお、法定再建計画に反対を表明する団体は少なくなかつたけれども、県P・T・A連合会では、右計画に反対する佐教組の運動の趣旨については十分な理解を示しながら、本件休暇闘争の如き実力行使には絶対反対の態度を表明していたし、前記小中学校校長会と同様の立場にあつたものと認められるのである(県校長会理事会では、前記のとおり、本件闘争のための休暇は承認しない方針を打ち出していた)。

(二)  次に、本件闘争の方法である三・三・四割の休暇請求が発案されたのは、一面闘争の効果を考えながら、他面教育への影響を縮小限度にとどめようとの考慮から出たものであつて、佐教組の第三二回臨時大会において授業確保のための周到な方策が協議され、右計画どおり実行されたため、全般的に平穏に学校運営がなされ、児童生徒の学習態度も表面上は平素と格別異なることはなかつたのであるが、本件休暇闘争には全稼働教職員の約八七パーセントにも及ぶ約五二〇〇名の教職員が参加したもので、その三日間にわたる闘争期間中教科の進度に相当な遅れが出たことは否定できないのみならず、そもそも教育は、単なる知識や技術の教示にとどまるものではなく、教職員と児童生徒との人間的接触を通して人格形成の指導がはかられるべきものであり、教職員の一挙手一投足は、感受性に富む児童生徒の人格形成上重大な影響力を有していることもまた明らかであるから、たとえ、右教科の遅れが容易に回復できる程度のものであつたとしても、教職員が多くの父兄たちの反対を押し切つてまで本件休暇闘争を敢行し、法に違反してでも実力を行使して要求を貫徹しようとしたことにより、これが純真無垢な児童生徒に与えた精神的な不安、動揺は決して軽視し得るものではないといわざるを得ない。

(三)  被控訴人らは、停職一月ないし六月という本件処分は、それ自体比例原則に反する重く厳しいものであると主張する。確かに、法定再建計画による教育人件費の削減は、教育現場の実態より財政的考慮に重点が置かれた嫌いがあり、その実施により教職員の勤務条件が従前に比し悪化することは明らかであり、現に、控訴人自身も公選制の時代には右計画に批判的な態度を表明していたほどであるから、教職員の勤務条件の悪化を阻止し、更にその改善を要求して本件休暇闘争に出た佐教組組合員らのやむにやまれぬ心情には、同情の余地が十分にあるものというべきであつて、これらの事情を重視すれば、控訴人が被控訴人らに対しいずれも停職一月以上を選択してなした本件処分は、いささか重きに失する感じを免れないが、しかしながら、前記(一)、(二)の諸事情のほか、本件休暇闘争の規模、態様、その原動力・推進力となつた佐教組執行部における被控訴人らの地位、同闘争の企画・遂行に関与した各自の役割等を考慮すれば、本件処分はいまだ社会観念上著しく妥当性を欠くほど重きに過ぎるとまでは認められない。

また、被控訴人らは、本件処分は公正及び平等の原則にも違反すると主張するが、〈証拠〉によれば、控訴人は、文部省と連絡を取りながら、本件休暇闘争に関する懲戒処分につき検討を進め、昭和三二年三月二七日の会議で、被控訴人藤山を停職二月、同中島を免職、同北崎を停職六月、同丸山、杉山、吉町及び鶴田を各停職二月、同樋口、松隈及び末森を各停職一月に処することを内定したが、なお関係市町村教育委員会の内申をまつて最終的に決定するものとし、同年四月一日の会議で、右内申等を慎重に検討した結果、右内定案を修正して本件処分をなすことに決定したものであることが認められ、その過程に不公正な点があつたとは認め難いし、佐教組の組合員である校長たちが被控訴人ら以上に本件休暇闘争の原動力として重要な役割を果たしたことを認めるに足りる証拠はない(却つて、前記のとおり、県校長理事会では、本件闘争参加のための休暇は承認しないとの方針を打ち出していた)から、これらの校長たちを除外して被控訴人らに対してのみ本件処分がなされたとしても、何ら平等の原則に反するものではない。

結局、本件処分が懲戒権者たる控訴人に委ねられた裁量権の範囲を超え、これを濫用してなされたとの被控訴人らの主張は採用することができない。

第四以上によれば、控訴人が被控訴人らに対してなした本件処分はいずれも適法であり、その取消を求める被控訴人らの本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却すべきである。

よつて、被控訴人らの本訴請求をすべて認容した原判決は不当であるからこれを取り消し、右請求をいずれも棄却すべく、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九六条前段、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(美山和義 谷水央 江口寛志)

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